2012年11月23日

お宮便り


本日は新嘗祭、神宮大麻頒布式、そして敬老祭が斎行されました。

早朝は雨風ともに酷かったのですが

不思議とお祭がはじまる頃には雨も止みまして無事滞りなく斎行することができました。


新嘗祭は大祭のひとつであり、収穫祭にあたります。
大体の神社では、本日23日に新嘗祭が執り行われていることかと存じます。

また神宮大麻頒布式では
新年を迎えるにあたり、各ご家庭の神棚にお祀りいただく
新しい神宮大麻(天照皇大神宮)と当社の神札の頒布をさせて頂きました。



●こちらは敬老祭の様子。
 ご高齢の事ですので、拝殿へと向かう急な階段をのぼられない方々には
 境内に椅子をご用意させて頂き腰をかけて頂いております。

昭和29年以来、毎年、ご高齢の氏子の方々(満80才以上)をお招きし
心から感謝と敬愛を捧げるとともにご長寿を祝福し、
今後なお一層のご長命をお祈り申し上げ
敬老祭(長寿祝福延命祈願祭)を斎行させて頂いております。

本年、目出度くも80才をお迎えになられた方々は52名。
当社より記念品をお渡しさせて頂きお祝いさせて頂きました。
(因みにこのお祭の対象者の氏子さんは現在500名を超えております。)

梅干や美味しい魚が長生きの秘訣なのでしょうか。。。
皆さん80才以上には見えないほど、ほんとに若くて元気な方が多いように感じます。



本年も敬老祭へとご参列下さりありがとうございました。
  


Posted by 須賀神社 at 15:21最新情報

2012年11月20日

宮城県金華山黄金山神社 復旧支援活動 後編

少し更新するのが遅くなりましたが復旧支援活動の続き2日目を。


2日目の早朝、宿泊部屋から撮影した外の景色。対岸に見えている山は牡鹿半島になります。
大津波が押し寄せる前、大きなひき潮が起こり対岸の牡鹿半島まで歩いて渡れる程に
海底が見えていたそうです。どれだけの大津波だった事でしょうか…。

そしてこの日は早朝から強風が吹いており風の音で目覚めました。
因みに昨夜は宿泊部屋にて災害用簡易寝袋(アルミ箔製)に入って就寝。
布団も借りる事が出来たのですが、極力ご迷惑をお掛けしないようにという事と
この薄いアルミ箔製の寝袋がどれ程のものなのかというのも気になりまして。。。
(流石に極寒の中では厳しいのかなと感じましたが、
  それなりに服を着込み寝袋に入れば問題ないのではと感じました)


起床後、先ずは神社境内の清掃奉仕をさせて頂き、朝食後足早に作業へと向かいますが
生憎雨が降りはじめ… もちろん小雨決行で作業を行います。

この日は2班に分かれ、数名が金華山の頂上にある奥宮へと向かい
震災により倒壊した大護摩堂の修復作業に従事。


また、もう一班は前日と同じ場所で同じ作業に従事。
かなりの重作業でありますので前日の作業の疲れも当然残っている中ではありましたが
皆、只管に土砂や大きな石を運び出し、そろそろ昼食に入ろうかという時に事態が急変。
早朝から吹き続けていた強風により、午後から船が欠航になる恐れがあるとの連絡が入り。。。

心半ばではありましたが作業中断を余儀なくされ、
半時間後には1便目が島へと到着するとの事でありましたのでバタバタとしながら下山。


僅かばかりの時間であり、まだまだダム内には土砂が残っておりますが…。
限られた時間の中で精一杯私達も力を出し尽くしました。
今後も別の青年神職の方々が作業に来られるという話も伺っておりましたので私達の想いを託し離島。

50名近い人数が一度に船に乗船出来ませんので2回に分けて乗船し
荒れた海を何とか鮎川港へと全員無事に戻る事が出来ました。

1時間半ほど当初予定されていた時間より早く戻って来ましたので
その時間を活用し急遽石巻市内と仙台空港近くの名取市へと被災地の現状認識・視察へとまいりました。


石巻市の現状。山積された車や瓦礫の山が今もそのままとなっております。

こちらは門脇小学校。母校がこのようになってしまった方々の事を想うと…心が傷みます。


こちらは門脇小学校近くにある日和山。この山の上に鎮座する鹿島御児神社へと参拝。
震災時、周辺の多くの方々がこの日和山へと避難されたそうです。

日和山から見た市内の様子。
大津波の際には至る所で油が流出したそうで
水面に浮かんだ油に火がつき、まさに火の波が迫ってきたそうで津波、火災で被害が甚大なものとなりました。


”ひとりはみんなのために、みんなはひとりのため”に と願いが綴られた千羽鶴。
誰かが石巻市民の皆様へと送られたものでしょう。(境内にて)





石巻市を離れる頃、周辺にはおびただしい量の瓦礫の山があちらこちらに。
現在、周辺に焼却施設が設けられ、この瓦礫を焼却しております。
その為、街中は前が見えないほどの白い煙で覆われているような状況でした。
然しながら、この焼却施設には仮設住宅にお住まいの方や震災で職を失われた方々が
優先的に雇用されているというお話も伺いました。


そして最後に仙台空港近くの名取市は閖上(ゆりあげ)地区へ

地区内の閖上湊神社へと参拝。こちらの小山も日和山と呼ばれているようです。
大津波がこの山を越えたそうです…。


山の上にあった社殿は倒壊。現在社殿跡地には神籬(ひもろぎ)が建てられておりました。


                         山の上から見た周囲の様子。

そして2日間私達を安全に目的地まで送り届けて下さった
バスの運転手さんの実家もここ閖上地区にございました。
震災により2~30人の友人知人を亡くされているそうで、
心苦しかったかもしれませんが私達に震災時のお話をして下さいました。

今、被災地の方々が1番怖れているのは
”終わったものとして忘れ去られる事”だそうです。
メディア等見ておりましても被災地の現状を報道されているのを目にする機会が少なくなりました。
また国民自身にもどことなくそのような風潮がながれているようにも感じます。

今回、限られた僅かな時間ではありましたが復旧支援活動や視察を通じ、
体感・体験する事によりあの時を忘れず風化させないよう、より一層被災地への想いを強く感じました。

同じ日本国民であるならば、その心や苦しみを分かち合い
共に復興再生へと歩んでいかなければなりません。


小さな事かもしれませんが一人でも多くの方々に被災地の現状を認識して頂き
想いを寄せて頂くきっかけになればと、沢山の写真をブログに掲載させて頂きました。

このブログを見て下さいました皆様の周りの方々にもこの被災地の現状をお話頂ければと思います。
小さな支援かも分かりませんが、先ずは誰にでも簡単に出来る支援であると思います。
少しでも想いを寄せていく事がこれからの復興再生への大きな支援に繋がっていくものと信じております。  


Posted by 須賀神社 at 13:26神道青年会

2012年11月12日

宮城県金華山黄金山神社 復旧支援活動 前編


今月の7日~8日の2日間
宮城県石巻市鮎川浜金華山に鎮座する黄金山神社へと
近畿地区の青年神職仲間20名と共に復旧支援活動へと行って参りました。
また、この活動にご賛同下さいました北海道地区神青・中国地区神青も加わり
更には、偶然にも同日程にて静岡神青の皆様も貴社へと復旧支援活動に来られており
総勢50名近くもの有志が集まり2日間作業に従事することとなりました。


この黄金山神社でありますが、
牡鹿半島の東側に位置する離島に鎮座するお社でありまして
東奥の三大霊場(出羽三山・恐山・金華山)のひとつとして
また、日本5大辯財天の霊地のひとつとされる由緒ある大社であります。

先の東日本大震災の震源地に最も近かった場所でもあり
M9.0の大地震にみまわられた場所といっても過言ではないでしょう。
職員さんからも当時のお話を沢山伺いましたが
恐ろしいほどの揺れに加え、けたたましい地鳴り海鳴りがしたそうです。


さて、7日当日入りした私は早朝より飛行機で仙台空港へ。
あの時津波に襲われた空港は復旧されておりますが
その周辺一帯は瓦礫等撤去されつつある現況ですが、いたる所に当時の面影が残っております。


無事に皆様と合流しバスに乗り込み一路船が出る港へと2時間近くかけて向かいます。


●鮎川港近くで立寄ったコンビニの駐車場。HELPの文字が残されております。
 震災時に地元の方々が沢山この場所に避難され自衛隊ヘリの救助を待っておられたそうです。


●鮎川港に到着。港の地盤沈下等、今も尚散々たる様相。


現在、唯一金華山へと渡る事が出来るチャーター船数隻に分乗。
この船は震災時、船長の判断で沖に出られ、あの大津波を必死でつき抜け助かったそうです。
現在、定期便が運休の中、島と本島を繋ぐ唯一の架け橋となっております。


●窓の外に見えているのが金華山。この島自体が社有地となっているようで
 桟橋周辺以外の復旧に関して行政の手助けが望めないとの事。自分達でやらなければならない状況なのです。


●桟橋周辺一帯が地盤沈下により浸水しています。現在仮桟橋が設けられそちらで乗降できます。
【右の写真】桟橋の待合所でしょうか…建物が大津波によりめちゃめちゃに破壊されています…。


●右の写真中央付近に赤い鳥居が写っているのですが、鳥居の額部分まで津波の高さがあったそうです。


実はこの金華山は大震災での地震、大津波の被害は勿論のこと
半年後の台風15号による災害で更に被害は拡大し現在に至ります。
地盤が緩んだ状況に追い討ちをかけるように台風の暴雨でいたる所で土砂が流出したのです。


●こちらは金華山黄金山神社の拝殿。金華山の中腹に神社が鎮座されておられます。
 神社に到着後、正式参拝をさせていただき足早に作業へとうつります。


●今回私達が作業にあたるのは飲用、生活用水の為の水を貯めているダムの土砂撤去作業。
下方ダムと上方ダムの2つに分かれ、震災後沢山のボランティアの方々が入られ下方ダムは復旧。
現在も沢山のボランティアの手により上方ダムも作業が進められております。

職員さん達もこのダムの底の深さを確かめた事がなく
実際どれだけの深さがあるのかも分からないとの事でしたが
とにかく自分達は限られた時間の中で只管土砂撤去作業に従事するだけ。

日没までの間、どれだけ土嚢袋を運んだのか分からないくらい延々と作業は続き…
作業服は泥まみれになり、水を含んだ土砂の運搬に半日で体はクタクタになってしましました。


かなり土砂を撤去出来たものと思っていましたが、思いのほか進んだようには見えず…
この作業の大変さを思い知ることとなった復旧支援活動1日目となりました。

この後、宿泊施設に戻り、
黄金山神社の職員さんや復旧支援活動に来られた他地区の青年神職さん達とともに交流会を行い
束の間のひとときを過ごさせて頂き床につきました。 

後編につづく…
   


Posted by 須賀神社 at 14:10神道青年会

2012年11月12日

お宮便り 


昨日の日吉神社の例祭。
雨の降る中、堺地区の皆様本当にお疲れ様でした。


●渡行の様子
 本来なら2~3時間かけて地区内を渡行し宮入りします。
 


●子供神輿が宮入。雨にも負けず子供達は元気です。
 

●最後に堺地区青年団の獅子舞が宮入し、境内にて獅子舞奉納。
 本殿、脇社の3社の前で奉納し、同じく堺地区に鎮座する浦安神社の方角に向け奉納。
 最後に氏神である当社須賀神社の方角に向け奉納されます。

この地区の獅子舞は本当に迫力があり
雨が降っていることも忘れてしまうくらいの熱気と迫力に見入ってしまいました。


本年は、生憎天候により渡行時間の短縮を余儀なくされましたが
地元の人たちの心が込められた凄く良いお祭だったと思います。

余談ですが
このお祭で雨が降ったというのは実に30年ぶりくらいだそうで…。
ある意味、記憶に残るお祭となったのではと思っております。

長い時間雨に打たれておりました地元の皆様、風邪をひきませぬ様御自愛のほどを。。。
本当にお疲れ様でした。


また先日は別の小宮の例祭にて
ブログでもお話しておりました ”朝日舞”の奉納を無事に執り納めさせて頂きました。
短期間での練習ではありましたが、真心を込めて奉納させて頂いた次第です。

少し緊張はいたしましたが。。。
奉納後は何とも言えないすがすがしさが身体を包み込み
今まで感じた事のないような感覚でした。

改めて奉納させて頂けました事に感謝申し上げます。
  


Posted by 須賀神社 at 09:22最新情報

2012年11月11日

お宮便り


本日、11日は境外社の日吉神社(堺地区)の例祭です。

生憎の雨模様となりましたが。。。

 

”恵みの雨 ”と前向きにとらえてご奉仕致したいと存じます。


今のところ小雨で天気がもってくれておりますが。。。

渡行もありますので、もう暫くこのままの天候でもってほしいです。

それでは行って参ります。


※最初に11日は第1申の日と書いておりましたが誤りでございます。
  現在は日曜日に行われております。  


Posted by 須賀神社 at 12:10最新情報

2012年11月02日

お宮便り


昨日から11月(霜月)に入り、早朝より月次祭を斎行いたしました。
ここ最近、日中も肌寒い日が続いてますね。
昨日はお日柄も良く、ご祈祷にバタバタと忙しい1日でした。

霜月の当社の祭典・行事です。

・11月11日  日吉神社例大祭(堺地区)

・11月15日  月次祭(早朝より)

・11月23日  午前 9時より 新嘗祭 神宮大麻頒布式
         午前10時より 敬老祭(長寿祝福延命祈願祭)

以上となっております。
また11月という事で七五三詣の時期でもございます。
11月中は七五三祈祷を随時受け付けしておりますので、お気軽に社務所までご連絡下さい。




少しブログが滞っておりましたので紹介出来てなかった境外社のお祭の様子を。


山内地区に鎮座の諏訪神社


ご祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)です。
一般的に農業の神として崇められ、五穀豊穣や農業振興などのご利益があるとされております。


神前式終了後、盛大に餅まきが行われお餅やお菓子等々、皆さん沢山拾われておりました。


地域の皆さんのお陰で無事に本年もお祭を斎行出来ました事、改めて感謝申し上げます。





近々、色々なご縁がありまして男性神職の舞とも言われる「朝日舞」の奉納をさせて頂く事になりました。


朝日舞の執り物でもある榊を奉製。白輪は鏡をあらわし紙垂をつけます。


この朝日舞ですが、昭和25年に神社本庁が制定した舞であり
明治天皇の御製のうちの2首に舞をつけたものです。

あまり一般の方でご存知な方っていないのではないでしょうか?
県内の神社でも例大祭などで宮司さんが舞を奉納されているところもあるかと思います。


実際、私自身も興味本位で少し足を踏み入れている程度の素人同然でもあり
暫くの間練習もしておりませんでしたので多少の不安はございますが…。

何かご縁めいた事が偶然にも重なったもので、意を決して奉納させて頂こうと思った次第です。
日数もあまりありませんが、お受けしたからには心を込めて奉納させて頂く所存でありますので
夜な夜な個人的に練習に励んでいるところでございます。。。
  


Posted by 須賀神社 at 15:22最新情報